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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)1492号 判決

本訴原告・反訴被告(以下、「原告」という。)

学校法人松蔭学園

右代表者理事

松浦ヒデ子

右訴訟代理人弁護士

竹内桃太郎

渡辺修

山西克彦

岩井國立

本訴被告・反訴原告(以下、「被告」という。)

森弘子

右訴訟代理人弁護士

田原俊雄

加藤文也

斉藤豊

亀井時子

大森典子

主文

一  原告の本訴請求を棄却する。

二  被告の反訴請求に基づき、原告は、被告に対し、金五九三万八二四〇円及びこれに対する昭和五九年一〇月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに同年一一月二五日から本判決確定に至るまで毎月二五日限り金一六万八七〇〇円及びこれに対する各支払日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告の反訴請求中、その余の訴えを却下する。

四  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一本訴

原告と被告との間に、雇用関係が存在しないことを確認する。

二反訴

原告は、被告に対し、金五九三万八二四〇円及びこれに対する昭和五九年一〇月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに同年一一月二五日から毎月二五日限り金一六万八七〇〇円及びこれに対する各支払日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、学校法人である原告が、生徒の成績評価の誤りを理由に教諭である被告を職務の適格性を欠くとして通常解雇し、被告に対し雇用関係の不存在の確認を求めた(本訴)のに対し、被告が、職務の適格性を欠くような成績評価の誤りはなく解雇理由がないこと、権利の濫用であること、不当労働行為であること等を理由とする右解雇の無効を前提として、原告に対し、賃金の支払を求めた(反訴)事案である。

一前提となる事実

1  当事者

原告は、昭和一六年に設立され、肩書地において幼稚園(共学)、中学校及び高等学校(いずれも女子のみ)を有するほか、神奈川県厚木市に女子短期大学(昭和六〇年四月開学)を有する学校法人であり、昭和五九年当時、中学校及び高等学校の生徒数は合わせて約一五〇〇名、教職員数は約七〇名(内約二〇名は講師)であった。

被告は、昭和四九年四月一日、原告の設置する松蔭学園高等学校(以下、「学園」ともいう。)家庭科担当の教諭として原告に採用され、以後勤務を続けてきたが、昭和五六年一一月二〇日、原告により普通解雇(以下「本件解雇」という。)されたものである。

なお、学園の校長は原告理事長松浦ヒデ子が兼ねており、副校長は同常任理事松浦正晃が兼ねている。また、学園には、被告ほか数名の教職員により昭和五五年四月六日に結成された松蔭学園教職員組合(以下、「組合」という。)があり、被告は、昭和五七年九月まで組合の初代執行委員長の地位にあった。組合は、結成と同時に、上部団体である東京私立学校教職員組合連合(以下、「私教連」という。)に加盟していた(〈書証番号略〉)。

2  成績評価に関する内規の制定とそれ以前の成績評価基準

学園においては、昭和五二年四月一日付けで生徒の成績評価に関する後記内規が制定される以前は、各教科・科目の成績評定に関する事項等につき規定した文書があり、それには、各教科・科目の成績の総合評定は五段階にすること等のほか、評価の仕方については、「評価は平常の学習活動、期末、中間考査、提出物等年間を通じて学習の結果を総合的に考慮して決定することが望ましい。」との記載があるのみで(〈書証番号略〉)、各教科ごとに教科会で具体的な評価の仕方を決めて運用してきた。そして、家庭科の成績評価の仕方としては、基本的には、実技のない第三学期は別として、実技のある時は作品点とペーパーテスト点(期末考査)をそれぞれ一〇〇点満点として足して二で割り、それに日常の授業態度、出席状況その他のいわゆる平常点を加減して評価を出し、それをもとに五段階の評定をしていた(〈書証番号略〉)。

学園は、昭和五二年四月一日付けで、「各教科・科目の学習の記録についての内規」(以下、「内規」という。)を制定したが、そのうち「〈1成績評定に関する事項〉」欄には、成績評価に関して次のような規定が置かれている。

「(4) 評定(五段階法)と、評点(一〇〇点法)との関連は、次のとおりとする。

評定

評点

5

100~85

4

84~70

3

69~45

2

44~30

1

29~0

(5) 各科目の学年評点平均は、65〜60点を基準とする。

(6) 評点は、定期考査(中間は、期末考査)を主として、学習結果を総合的に考慮して決定する。

ただし、平常点(学習態度、提出物、平常考査、出席状況など)は、20点を限度として加減することができる。

(注―1)体育、芸術、家庭、タイプの平常点は50点を限度とすることができる。

(注―2)平常点の限度、内容については年度初めの各教科会において科目ごとに決めておくこととする。

(7) 中間、期末考査は均等に評価する。」

なお、学園における成績評価の手順は、次のとおりであった。即ち、各教科の担当教諭は、内規に定められた基準に基づき生徒の成績を評価し、これを学園から記帳を義務付けられている教務手帳に記載し、各学期末に教務手帳の評定をもとに評定表を作成し、これを当該生徒のクラス担任に提出する。その後、クラス担任により、クラスの生徒全員について、全教科を一覧することのできる評定記録表が作成され、これによって各生徒の通知表が作成される。さらに、教科担任は、学年末において、各学期ごとの評定をもとに、担当教科について当該学年度の評定表(一学期から三学期の各評定と学年度の評定は、すべて一枚の評定表に記入されるようになっている。)を作成のうえ、クラス担任に提出する。そして、これを受けたクラス担任は、クラスの生徒全員について、全教科を一覧することのできる学年度の評定記録表を作成し、その評定を学籍簿に記載することになっていた。

3  成績評価問題の発端

昭和五六年七月二三日、学園の商業科一年を担任する田中幸雄教諭(以下、「田中」という。)が、同日開かれた父母会の席で、一生徒の母親から家庭科の成績評価について質問を受けたので、被告に問い合わせたところ、被告の計算ミスであることが明らかとなった。翌二四日、田中が、被告の成績評価には他にも不可解なところがあるとして、家庭科の教科主任である柳澤史子(以下、「柳澤」という。)に連絡した。同日の放課後、被告は、田中、松本順子学年主任及び柳澤に呼ばれ、同人らに成績評価について詰問され、柳澤が被告の成績評価に他にも間違いがあるかどうか調べるために教務手帳を預かった。同月二五日、柳澤は、被告の昭和五六年度の教務手帳を調べた結果、二七件の評価の誤りがあったとして一覧表を作り、これをもとに副校長及び宮本タケミ主任の立合いのもとで被告に説明を求めたが、被告は計算間違いについてはその誤りを認めたが、その他の評価方法に関するものについては、教科会で話し合いたいとしてそれが誤りであることを認めなかった(〈書証番号略〉)。

4  懲戒停職処分

原告は、被告に対し、昭和五六年九月五日、原告の就業規則第五二条一号(「規律を乱し秩序を破り業務の運営を阻害し又は常軌を逸した行為のあったとき。」)及び二号(「故意、怠慢、過失又は監督不行届によって事故を起こし或はこれによって学園の信用を害し又は損害を生じたとき。」)により、同月七日から同月一三日まで停職を命ずるとの懲戒停職処分をした。その理由の要旨は、(1)前記発端により発覚するに至った被告の成績評価の誤りについて、被告の教務手帳をもとに関係教員が再調査したところ、同年八月末現在で二七名の生徒に評点、評定の誤りが発見されるに至った、(2)同年六月一九日に、職員室にいた副校長が、校庭で体育の授業を受けている生徒の中に、頭髪違反等の疑いのある生徒を見つけ、それがその場にいた被告の担任するクラスの生徒であったことから、被告に直ちに確かめてくるように指導したにもかかわらず、これに素直に従わず、また、同日の放課後、副校長が被告に対し、勤務のあり方等につき指導説得を繰り返したが、誠意ある態度をとらず、同僚教員等から態度を改めるよう注意されたが反省しなかった、この件は、本来教育上の指導の問題であるにもかかわらず、被告はそれを組合問題にすり替え、組合名で出された抗議文の中で、事実無根の主張をし、同僚教員等を中傷誹謗した、その抗議文につき、関係教員らから謝罪文を書くことを要求されたが、誠意ある回答をしなかった、というものであった(〈書証番号略〉)。原告は、被告に対し、同日右懲戒停職処分の通知書を渡そうとしたが、被告は、処分理由が納得できないとして、この受領を拒否した。その後、被告は、私教連の中央執行委員である丸山慶喜を交えて学園と交渉した結果、副校長が、提出済みの教務手帳の二年生の部分は訂正のため調べるが、そのことで懲戒処分にはしないし、新たに過去の教務手帳の提出は命じないという趣旨の発言をしたので、被告らは、これを信じ、同月一二日に、停職処分の期間を同年九月七日から同月一四日までとして処分を受けることにし、右通知書を受領した(〈書証番号略〉)。

5  本件解雇

懲戒停職処分後、被告は、校長から更に過去三年分の教務手帳を提出するように命ぜられたが、前記経緯からこれを納得しがたいとして、教務手帳の提出を拒否してきたところ、昭和五六年九月二五日の団体交渉の席上で、副校長が、今後間違いが発見された場合でも懲戒処分には付さない旨発言したため、被告は、手元に残っていた昭和五四年度及び昭和五五年度分の教務手帳を提出した(〈書証番号略〉)。

原告は、被告から提出された昭和五四年度ないし昭和五六年度の被告の各教務手帳を柳澤を中心にして調べさせたところ、次に述べるような誤りが発見されたとして、その結果、学園の家庭科教師として正常な労務の提供を期待することは到底できず、このことは原告の就業規則第四三条二号の「職務に適格性を欠くとき」に該当するとして、被告に対し、昭和五六年一一月二〇日、予告手当を提供するとともに、解雇通知書をもって普通解雇する旨の意思表示をした。

右解雇通知書に記載された、被告の成績評価の誤りとされるものは、次のとおりである。

(一) 初歩的な計算ミスによる成績評価の誤り

一七件

(1) 平常点と考査点との平均を計算違いしたもの

一五件

このうち、通知表の訂正を要するもの

六件

(2) 学年の成績を出す段階で計算違いをしたもの

二件

このうち、通知表と学籍簿の訂正を要するもの

一件

(二) 教務手帳から評定表へ転記する際に誤記したもの

六件

このうち、通知表の訂正を要するもの

一件

(三) 作品未提出者につき、すべて一律に平常点をゼロとしたうえで考査点を無視して評点を29点ないし30点としたもの

六八件

このうち、通知表の訂正を要するもの

三九件

(なお、原告は、本件訴訟が提起された後、この誤りの件数を五三件、うち通知表の訂正を要するもの三〇件と訂正した。)

(四) 作品を期日に遅れて提出したものは、平常点・考査点に関係なくすべて評点を30点としたもの 一六件

このうち、通知表の訂正を要するもの

八件

(五) 作品を提出したにもかかわらず平常点をゼロとしたもの

一八件

(六) 作品未提出にもかかわらず提出扱いとされているもの

一件

(七) 評点算出の根拠が全く不可解なもの(四種類)

多数

なお、原告主張の被告の成績評価の誤りの具体的内容は、別紙「森教諭の成績評価について」と題する一覧表(以下「別表」という。)記載のとおりである。

右のうち、平常点と考査点との平均を計算違いしたもの一三件(昭和五四年度一件〈別表No.15〉、昭和五五年度一件〈同14〉、昭和五六年度一一件〈同1ないし11〉、なお、右のうち通知表の訂正を要するもの四件)、学年の成績を出す段階で計算違いしたもの二件(昭和五五年度〈同16、17〉、うち通知表の訂正を要するもの一件)及び教務手帳から評定表へ転記する際誤記したもの三件(昭和五四年度二件〈同22、23〉、昭和五五年度一件〈同18〉)合計一八件(通知表の訂正を要するもの五件)については、被告も誤りを認めている。

なお、原告の就業規則第四三条は、「法人は教職員が左の各号の一に該当するときは三〇日前に予告するか、三〇日分の給与に相当する金額を支給して解職することができる。」とし、その第二号に「職務に適格性を欠くとき」と規定している。

6  解雇当時の賃金額等

被告の本件解雇当時の賃金額は、月額金一六万八七〇〇円であり、毎月二五日に支払われることになっていた。本件解雇が無効であるとして、昭和五六年一一月二〇日(本件解雇日)から昭和五九年一〇月二五日(反訴提起時に到来していた支払期日)までの右賃金の合計額は、計算上五九三万八二四〇円となる。

二争点

本件の中心となる争点は、被告の成績評価に原告主張のような誤りがあって、それが原告の就業規則第四三条二号にいう「職務に適格性を欠くとき」に該当するか否かであり、また、本件解雇が不当労働行為あるいは権利の濫用と認められるか否かも争われている。

三原告の主張

1  内規制定以前の評価方法の問題点

(一) 内規制定以前の評価方法は、かなり以前から長期間にわたり行なわれてきたものであったが、提出者の出来ばえにウェイトがかかり過ぎているのではないかという疑問があり、教科会などではかねてから別の合理的な評価方法があれば改めたいとの話が何度か出ていた。

即ち、従来のやり方では、提出物につき、その出来ばえだけを取り上げ、これを期末考査点と同等に扱うわけであるから、第一に、提出物の出来ばえのみでは教師の主観に左右される度合いが高いだけでなく、友人や親の助けを得て出来上がりだけよいものを提出すれば高い作品点が得られること、第二に、提出物が最終期日までに間に合わなかった生徒については、途中経過でいくら真面目に制作に取り組んでいても作品点は零点とならざるをえず、一方手先の器用な生徒は、実技で適当にやっていても最後の提出物だけきれいに仕上げて高い点数を得ることがありうること、という不合理が避けられなかった。実技科目である家庭科の評価方法としては、作品を段階を追って仕上げていくという過程、即ち「途中経過」を軽視すべきではないのは多言を要しないところであるから、従来の評価方法はやや問題があったというべきである。

(二) そこで、昭和五一年度中に数回の職員会議にかけ、主任会議でも論議を煮詰めた結果、昭和五二年度の新学期から、内規が実施されることとなったものである。

2  家庭科教科会における内規の具体化

(一) 昭和五二年度は内規が制定されることは決まっていたが、偶々入学式の直後に行なわれる恒例の教科会の日(四月五日)には、まだ成文化されたものが配布されていなかったので、家庭科教科会では年度計画の打ち合わせのみに止め、成績評価については内規が文章化された段階で各自がよく検討の上でもう一度教科会を開いて話し合うことになった。そして、内規が各人に配布された後の五月中旬過ぎに、当時家庭科に携わっていた教師全員(柳澤主任、被告、小松原智伊講師の三名)で改めて教科会を開き、新しく制定された内規に則って家庭科では具体的にどのような成績評価をするのかを検討した。

(二) 内規は、通常科目、実技科目を問わず、学園における成績評価の基本を定めたものであるが、第一に「定期考査を主とする」こと、第二に「平常点の限度、内容は各教科会で科目ごとに決めたところに従う」ことという基本原則を明文化したところにポイントがある。

ここでいう定期考査は必ずしもペーパーテストとは限らず、例えば体育の場合にはペーパーテストがないので実技をやらせて採点し、それを定期考査に代えている。

家庭科では、実技を行なわない三学期は別として、通常の学期は期末考査においてのみ実技とは別の講義に関するペーパーテストを実施し、中間考査としてのペーパーテストは行なわない。したがって、中間考査に代わるものとしては実技点(作品点)が先ず第一に考えられるところであるが、作品点、特に提出物の出来ばえを内規でいう「中間考査点」にそのまま当てはめると、前述のように教師の主観に左右されすぎることや日々の制作過程の正しい評価ができないことなどの弊害が生ずることにもなる。

(三) そこで、これらの弊害を取り除くために、広い意味で実技点を中間考査に置き換えることは、家庭科の実態からやむを得ないとしても、内規の制定を機会に、実技点(作品点)の評価方法を基本的に改めることにした。

即ち、まず、作品の制作過程(途中経過)を段階的にチェックして、その都度評価し、それを積み重ねたものを全体の実技点として評価の対象にすることにした。次に、平常点については、実技点を出すに当たって、作品制作の途中経過を、段階的に、かつ出来ばえを見ないで評価するということになると、事実上実技点の中に制作態度や期限を守ったかなどのいわゆる平常点が含まれてしまい、互いに区別することはほとんど不可能になることを考慮し、作品の出来ばえに狭義の平常点を合わせたものを広義の平常点(作品点)としてこれを中間考査に代わるものとした。そして、内規の「中間考査と期末考査は均等に評価する」との規定に従い、狭義の平常点を含む実技点(作品点)と期末考査点の平均点を評点とすることにした。したがって、当然のことながら、狭義の平常点は、既に中間考査に代わる実技点に織込み済みであるから、右評点に対してこれを更に加減するということはない。

3  内規制定後の成績評価方法

内規制定後に教科会で検討を経た後の成績評価方法(以下「学園方式」という。)は次のとおりとなる。

(一) 実技と授業の双方が行なわれる通常の場合は、中間考査に代わる平常点と期末考査点とを足して二で割ったものを評点とする。ここでいう平常点とは、実技点(作品点)に狭義の平常点を加味したもので、内規制定前の作品点(作品の出来ばえを評価したもの)とは意味が異なっている。具体的に中間考査に代わる平常点をどのようにして出すかというと、作品のでき上がるまでの過程をいくつかの段階に分け、例えば、課題がスカートの制作であれば、型紙作成の段階、仮縫いの段階、ファスナー付けの段階と順番に評価していくが、その時々に作品の出来ばえだけでなく、提出期限に間に合ったか、制作態度はどうであったかなど、狭義の平常点も加味して評価し、その評価の結果は、ABC等の記号により教務手帳に付けておき、完成した作品の作品点を加えて最後に一〇〇点満点で点数化する。

(二) 作品未提出及び提出遅れの取扱いは次のとおりである。

(1) 未提出については、内規制定以前は、作品点をゼロとし、期末考査点を二で割った点数に制作態度や途中経過などの狭義の平常点を加減していた。これに対し、内規制定後は、最終作品が提出されなくても、作品制作の各段階における途中経過点(平常点)があるので、作品の制作に全く参加しなかったなどの特殊な場合を除けば、最終的な評点が零点ということは通常では考えられない。

(2) 提出遅れについては、内規制定以前の評価方法でも、期限に遅れても作品が提出された以上は、作品点は与えられており、提出期限が守れなかったことについては平常点で評価されるだけである。内規制定後は、各途中経過点の評価においては、その都度の評価の中に入ってくるのであり、そのことは最終作品についても同様である。最終作品の提出遅れは、最終作品の平常点(作品点)には影響するが、それ以前の平常点には影響がない。

4  被告の成績評価の誤りの発覚の経緯

(一) 昭和五六年七月二三日、田中は、担当クラスの父母会終了後、被告の教務手帳を見せてもらったところ、生徒の母親から疑問を指摘された成績評価の他にも不可解な評価をいくつかみつけたが、被告が、どうみても評点の出し方がおかしいのに、曖昧な態度をとって間違いを認めようとしなかったため、翌二四日に家庭科の教科主任である柳澤に苦情を申し入れた。

(二) 柳澤は、右同日、被告を呼んで事情の説明を求めたが、被告は、問題の生徒の成績評価について、間違いらしいというニュアンスの発言はするものの最後まではっきり間違いであるとは認めなかった。柳澤は、田中から他にも疑問のある評価があると聞いていたので、被告に対し、他の生徒については大丈夫かと質したところ、「忙しくて調べる時間もなかった」との返事であったため、「私が預かって調べてこようか」というと、被告が「お願いします」と教務手帳を差し出したので、これを預かり、調査することになった。

(三) 柳澤は、被告から預かった昭和五六年度の教務手帳のうち、一年生の分だけを一応調査してみたところ、計算違いと思われるもの一一件、判断に苦しむもの一六件、合計二七件を発見したが、あまりにもその数が多かったため、もはや主任の段階で止めておけないと判断し、翌二五日に校長に報告し、判断を仰いだ。校長の指示により、同日の夕方、副校長、柳澤、宮本学年主任の立合いの下で被告を第二職員室に呼び、柳澤が発見した評価誤りと思われる二七件を一覧表にしたメモをもとに、被告に対し、その説明を求めた。被告は、単純な計算違いと思われる一一件についてもなかなか誤りであることを認めなかったが、話が進むうちに渋々これを認めた。また、最後に、作品を提出しなかった生徒については途中経過点、定期考査にかかわらず一律に評点29、評定1(以下、評点、評定を「29・1」というように略記する。)、期日に遅れた生徒については同様に一律に30・1に評価したとの説明があった。

(四) 昭和五六年度の一年生の一学期分だけでも、前述のように多くの評価誤りが発見されたので、校長は、その他の年度の分についてもできるだけ早期に調査する必要があると判断し、同年九月一二日に、被告に対し、過去三年分の教務手帳の提出を命じたが、被告は、校長が指示した日を過ぎた同月二八日に、昭和五四年度及び五五年度の二年分の手帳を提出しただけであった。被告は、右二年分の教務手帳と共に被告自身が調査したという三件の誤りを記載した一覧表を提出したので、校長が、「これ以外に間違いはないのか」と尋ねたところ、被告は「ありません」と答えた。ところが学園が調査してみると、驚くほど多くの評価の誤りが発見された。

5  被告の成績評価の誤り―解雇理由たる事実

被告の成績評価の誤りは、別表に記載のとおりであるが、これを詳述すると次のとおりである。

(一) 計算ミス

(1) 平常点と考査点との平均を計算違いしたもの(一五件)(別表1(1))

評点を出すには平常点と考査点とを足して二で割るが、これを計算違いしたものである。このうち、評定の訂正が必要な生徒は三名である。評定は偶々影響を受けなくても、評点は生徒の席次に影響し、就職・進学等の進路指導の参考とされ、三年生の場合は就職先の推薦の基準に使われる。

(2) 学年の成績を出す段階での計算違い(二件)(別表1(2))

学年の評定は、一学期から三学期までの評点を合計し、平均点を出すのであるが、これを計算違いしたものである。教務手帳には評点だけでなく、評定、学年末の評点も記入しておくべきであるのに、被告の場合はそれがされていなかった。

(二) 転記間違い(六件)(別表2)

教務手帳から評定表に転記するのは各教科の担当教諭がすることになっているところ、被告は昭和五四年度、五五年度で合計六件の転記ミスを犯していた。

(三) 作品未提出者の平常点・考査点の無視(五三件)(別表3)

作品未提出者につき、すべて一律に平常点ゼロ(教務手帳上は零点と記載されているか、あるいは空欄になっている。)とするに止まらず、考査点を無視して29・1、30・2をつけたものである。

(1) 平常点(特に途中経過点)の無視

家庭科の実技は何段階かに分けて、制作態度や提出状況等の狭義の平常点を含めた途中経過を評価し、それを積み上げていくものであるから、最終作品が提出されなくても途中経過点は必ずあるものであるが、被告はこれを無視し、実技点をゼロとしており、これは前記評価方法に反する。

別表に記載された五三件についても、全員なにがしかの平常点は当然考えられるから、被告が正しい評価をしたならば、ほとんどすべての生徒がもっと高い評点になったはずである。

(2) 定期考査点の無視

内規によれば、「評点は定期考査を主として、学習効果を総合的に判断して決定する」と定められている。しかるに、被告は作品未提出者については定期考査点を一切無視した。しかも、考査点を無視することによって、定期考査で頑張った生徒については評点が悪くつけられ、考査点が悪い生徒については評点が良くつけられるという矛盾した結果を招いている。

例えば、別表No.32の生徒の昭和五六年度一学期の定期考査点は一九点にすぎないのに評点は29がついているのに対し、同30の生徒は考査点が六六点であるのに評点は同じく29である。

(3) この評価方法の影響について

人間には生来の器用・不器用があって、真面目にやっていても生まれつき不器用のため実技が遅く、作品の制作が定められた期限に間に合わない者もいれば、一方では器用なために作品の提出は苦もなくできるという者もいる。大人のように何らかの工夫で手先の不器用を補うことを生徒に求めるのは、元来無理であるし、教育的立場から見て適切とは考えられない。また、何かの事情で作品が提出できず、その分期末考査で頑張って回復したいという生徒もいたはずである。このような様々な事情を一切無視し、被告の決めたいわゆる「最終作品」の未提出や提出遅れがあればそれだけで途中経過点も無視し、定期考査点も無視するというこの評価方法は、内規に反することはもちろんのこと、内規以前の常識を逸脱しており、全く論外といわねばならない。

評定が1であると、生徒は有料の再試験を受けさせられるだけではなく、学年の評点、評定に大きく響いてくる。評定2の生徒についても再試験がないだけで著しい不利益を受けたことに変わりはない。被告の誤った成績評価によって最も傷ついたのは生徒達であったが、学園もまた教育機関として大きく傷ついたのである。

(四) 作品提出遅れの平常点・考査点の無視(一六件)(別表4)

作品を期日に遅れて提出した生徒に対し、平常点をつけているのにこれを考慮せず、考査点も無視して一律に30.2と評価したものである。これが内規に反することは、右(三)で述べたとおりであり、いわゆる手抜きをしたとしか考えられない。

また、被告の評価の恣意的なことを示す具体例も枚挙に暇がないほどあるが、別表No.77の生徒に関する被告の教務手帳の記載を一例として挙げるならば、この学期の「最終作品」はスカートの完成品であったが、右生徒及び同78の生徒は、仮縫いなど途中経過を提出した形跡の記載があり、最後のスカートの欄に「遅」を丸で囲んだゴム印が押してあって、いずれも30・2である。教務手帳にこれと全く同様の記載がなされている生徒が他に三名いるが、驚くべきことに、被告はこの三名については内規どおりに平常点と考査点とを足して二で割り、評点と評定を出している。全く一貫性のない気まぐれな評価である。

(五) 作品提出者の平常点の無視(一八件)(別表5)

このことが発覚したのは、作品の提出・未提出の状況を生徒に尋ねていくうちに、生徒の中から自分は誰々と一緒に作品を被告に提出したという者が何名も現われたので、柳澤が個別に生徒を呼んで詳しく事情を聞き、別表No.93から104までの生徒の一二名について、作品の提出があったと認定したものである。また、別表No.105以下の六名は、教務手帳の最終作品の欄に「提」、「」の記載があることから、同様と判断した。

(六) 作品未提出者を提出扱い(一件)(別表6)

昭和五六年度の二学期は、被告の授業を柳澤が引き継いで担当していたところ、111の生徒が一学期に提出できなかった作品を「先生、やっと出来ました」といって持ってきたことから発覚した。この生徒は、一学期には作品を提出していないのに、被告は九〇点という高い平常点をつけていた。

(七) 評点算出の根拠が不可解(多数)(別表7)

このほかに、平常点、考査点共にほぼ同じ点なのに評定が2と1に分かれるものや、同日一緒に作品を提出したのに一人だけ作品点が認められなかったもの、考査点の低い方に評定2、高い方に評定1がついているもの、平常点がゼロなのに考査点より評点の高いものなどがある。

6  就業規則第四三条二号(「職務に適格性を欠くとき」)の該当性

生徒に対する成績評価は、教師の神聖にして、かつ、重大な職務であり、これに誤りがあった場合、その誤りの幅が大きければ通知表や学籍簿の訂正を要することとなり、幸いにして誤りの幅が小さく、評点の誤りに止まった場合であっても生徒間の席次に影響し、ひいては生徒の進学ないし就職活動に与える影響も少なくない。しかも、被告の場合は、成績評価の誤りが一件や二件ではなく、前記のごとく異常な数に上っており、そのこと自体正に常軌を逸しているというほかない。

その成績評価の誤りには単純な計算間違いを原因とする事例も多く、これのみをもってしても教師としての資質を疑うに十分であるが、被告の場合は、さらに、生徒の学習活動の総決算ともいうべき試験の成績を全く無視し、一律に評点をつけるなど、生徒の学習意欲をそぐこと甚だしいものがあり、自ら教師としての責務を放棄したとしか考えられないものも多数みられる。そのうえ、被告は、このような評価間違いについて学園及び他の教諭から指摘を受けても、反省の態度すら示そうとしないが、このことは到底理解できない。このような被告の行動からすると、被告は、教諭としての「職務に適格性を欠く」というべきである。

四  被告の主張

1  解雇理由の不存在

原告は、被告の成績評価には誤りが多数あって、就業規則第四三条二号の「職務に適格性を欠くとき」に該当する旨主張するが、別表No.1ないし11、14ないし18のとおりの計算違いがあり、また、別表No.22、23のとおりの誤記があったに過ぎず、これら合計一八件の単純計算ミス以外に原告が被告の誤った成績評価であると主張するその余のものは、内規により教師に裁量として許された範囲内の正当な評価であって、その評価に誤りはなく、被告に職務の適格性が欠けているとはいえない。

(一) 内規の性格と教師の裁量性

内規は、形式的には就業規則第一条に基づく下部規定であるが、こと成績評価に関するかぎり、個々の生徒の成績評価は、直接授業や生徒の学校での生活を把握している当該教師以外は適切な評価を下し得ないことからしても、教師の裁量を全く認めないという性格のものではなく、教師という職業の特性をふまえた運用を許さない趣旨であるとは解されない。

このことは、内規が、評点のつけ方に関し、「定期考査を主として学習結果を総合的に考慮して決定する」「平常点を一般教科で二〇点、家庭科など実技教科で五〇点を限度として加減できる」と定め、教師の大幅な裁量を当然の前提としていることからも明らかである。

(二) 内規制定後の教科会取決め(学園方式)の不存在

原告は、昭和五二年五月中旬頃、内規改定に伴う学園方式を内容とする教科会取決めがなされたと主張するが、右学園方式はそれまでの方式を大きく変更するものであるにもかかわらず、右教科会が開かれた日も明らかでないばかりでなく、その内容を記録したものも存在しないということからして、そのような取決めが存在しないことは明らかである。

学園方式は次のような点からしても不合理である。

(1) 学園が、内規で、家庭科も含めた実技科目について平常点の加減の限度を、従前の二〇点から五〇点に引き上げた趣旨は、実技科目については、実技に時間をかけるので実技の点数を通常より重視し、平常点を通常科目より特に三〇点増やしたものであるところ、学園方式によると、改定以前より実技点の幅が大幅に減少することになり、教科会の取決め自体が内規に違反することとなる。なお、平常点について、内規で「加減することができる」とされているのであるから、加点することができるだけで減点することができないとする学園方式は、内規に違反するだけでなく、教育の場での平常点の意義や趣旨に全く反するものである。

(2) また、学園方式は、被服制作を伴わない学期や、半分近くの授業時間を教科書を中心とした講義にあてる学期などでは当てはまらないし、被服制作が中心となっている学期でも、学園のように一人の教師が学期末に一〇クラス約五〇〇人の生徒の評価を出さなければならない状況の中では、到底不可能な方法である。

(3) 仮に、教科会取決めが昭和五二年五月半ばから存在し、学園方式が実施されていたとすれば、以後本件解雇があった昭和五六年までの五年間にわたり被告は右方式と異なる評価の仕方をしていたことになり、当然他の教師との間に評価の不均衡が生じ、生徒や父母の間から苦情が出たり、教科会や職員会議で問題となったと思われるが、そのようなことはなかった。また、柳澤と被告とは、本件解雇の前年の昭和五五年度には同一学年を二人で共同分担して家庭科を教えていたのであるから、仮に被告が柳澤と異なる評価の仕方をしていたのであれば、柳澤においてそれに気が付かないはずはなく、当然指導や注意がされていたはずであるにもかかわらず、それがされていないということは、そのような取決めがされていなかったことを物語るものである。

(三) 被告の評価の正当性

(1) 学園における家庭科のカリキュラムの特徴

昭和五六年度当時の文部省の定める高等学校学習指導要領によれば、家庭科は「家庭一般」を女子が四単位必修することになっており、その指導内容は、被服、食物、家庭経営、住居、保育の五分野を学習することになっていた。当時、学園では一、二年生で「家庭一般」を各二単位ずつ履修させ、普通科の三年生は、食物分野を更に深く学習する「食物」を二単位必修にしていた。

学園では、被告が採用される以前から、伝統的に家庭科において被服学習を重視するカリキュラムとなっており、年度初めに授業内容を決定するにも、先ず被服制作を何にするかを決めてから、その制作と制作の間に教科書の理論を入れるようにしていた。そして、本件解雇理由とされた該当年度学期の被服実習の比率は、各学期授業時間の平均七二パーセントが当てられていた。したがって、成績評価においても、必然的に作品提出を評価の中心に置かざるを得ないものであった。

(2) 一、二学期の成績評価の意味

本件で問題にされる成績評価は、一、二学期の学年途中の評価であり、学園に保存される公的帳簿に記載されるものではなく、教育的意味合いを込めた、生徒を激励する等の指導上の評価、警告ともいえるものであり、後で調整の困難な三学期もしくは学年末評価ではない。被告は、作品を提出しない生徒の一、二学期の評価について、ある時は厳しく警告の意味を込めながら、全体として三学期には単位が取れるように配慮もしつつ成績評価をしていたのである。

(3) 被告の評価方法

被告は、場合によっては例外の評定をすることもあったが、原告が主張するように恣意的に評定したことはなく、提出物の期限を守る一般の生徒については原告主張の評定と同じであり、期限を守らない等の若干の生徒について、その学期の特殊性、他の生徒との比較衡量、生徒個人の特別事情等を配慮し、一定の基準によって評点、評定をしてきた。その基準は次のとおりである。

① 生徒が作品を期日に提出した場合

この場合は、実技評価が可能なため、実技点と期末考査点を足して二で割って評点を出した。この評価方法が解雇理由の三年間の対象生徒数一六八五名中一五九四名(94.6パーセント)を占め、原告もこれは正当な評価であるとしている。

② 生徒が催促されても作品を提出しなかった場合

この場合、具体的事情も考慮しつつ、原則として29.1と評価した。被告が、右のような評価基準に従った理由は、学園方式のような積み上げ方式では作品未提出者でもペーパーテストが良い場合には評定2以上がついてしまうが、それでは生徒は作品を出さなくてもペーパーテストで頑張りさえすればよいということになり、日常実技の実習にも真面目に取り組まなくなること、まして、実技を年間七割以上も実施する学園のカリキュラムのもとにおいては、作品を出しても出さなくてもあまり点数や評定に関係がないということでは、家庭科教育自体が成り立たなくなりかねないからである。そのため、被告は、柳澤の指導もあり、生徒に対しては実習の重要性、作品の重要性を指導し、授業でも「提出すべき作品を提出しなければペーパーテストがいくら良くても評定1」を周知徹底させてきた。この方法は、柳澤の指導のみならず家庭科の評価一般でも広く行なわれている方法であり、原告主張の学園方式は、家庭科教師の日常的な悩み等教育現場の実態を全く把握していない机上の空論である。

また、作品未提出者に対して、原告として評定1の最高点である評点29をつけた理由は、内規の範囲内で、しかも、生徒の個別的事情を配慮しながら、二学期以降どんなに努力しても点数の回復が困難な低い点数をつけるよりも、努力すれば合格が可能なぎりぎりの点数として評点29をつけたものである。この29・1は、決して画一的でも一律でもない評価であることはいうまでもない。

この評価基準によって29・1をつけた生徒は三年間で二七名(一六八五名の1.6パーセント)である。そのうち二二名(八一パーセント)はペーパーテスト点を二で割った点数に加点されており、減点された者は五名に過ぎない。したがって、原告の当初の解雇理由のように、作品未提出者につきすべて一律に平常点をゼロとした上で考査点を無視して29・1とつけた、ということでないことは明らかである。

③ 最終作品の提出が指定した日に遅れたものの評定表作成の期日に間に合った場合

この場合は、その具体的事情を考慮した上、30・2と評価した。これは、29・1の生徒と違い、ぎりぎりでも作品を提出したのであるから、励ましの意味を込めたものである。また、評定2の最低評点である30とした意味は、期日に遅れても点数にさしたる変わりがないのでは提出期限の意味がなくなり、生徒に対する「約束」の教育的意義がなくなってしまうからである。この数は、三年間で合計二七名(一六八五名中1.6パーセント)である。このうち、ペーパーテストを機械的に二で割って出した点数に加点したものが二二名(八一パーセント)、減点したことになるもの四名(一五パーセント)、プラスマイナスなしになるものは一名(四パーセント)である。

④ 最終作品は不提出であっても、制作途中の経過や授業態度が良い場合やその他評点上考慮に値する特殊事情がある場合

これらの場合は、その各事情を考慮して内規の範囲内で30・2と評価したものである。この数は、三年間で合計二六名(一六八五名中1.6パーセント強)である。このうち、ペーパーテストを機械的に二で割って出した点数につき前記制作過程の経過点や授業態度を考慮し加点して救済したものは二二名(八一パーセント)、前記諸事情からペーパーテストを二で割って出した点数よりも減点したことになるものは四名(一五パーセント)、プラスマイナスしなかったもの一名(四パーセント)である。

⑤ 以上のほかに、特別な教育的配慮の必要がある場合

個々の具体的な事情に応じて内規の範囲内で評価するものである。これに該当するものは三年間で合計一一名(0.6パーセント)で、そのうち加点に該当するものは六名、減点したものは五名となっており、加点の場合の主な理由は、骨折などの事故によるものや、平常の作品に取り組む姿勢、経過点等を考慮したものであり、減点したのは、本人以外の者の作品加工があった疑いがある場合等である。いずれも内規にいう平常点の加減の一つと考えられるものである。

以上のように、作品未提出者に29・1をつける、あるいは、本来成績評価時に提出されないため評定1になるべき生徒であっても成績交換時に間に合った場合は30・2にするという方法は、内規の規定との関係でいえば、その限りでペーパーテストの結果を最終評点に反映させていないといえるかもしれない。しかしながら、右内規そのものが、「定期考査(中間、期末考査)を主として、学習結果を総合的に考慮して決定する」と規定しているのであるから、実技重視のカリキュラムのもとで、その指導計画の最終到達目標である作品を提出しないという例外的な生徒について、学習結果を総合的に考慮して1という評価を与えることは、決して内規の規定に違反するものではない。内規は、考査点の結果に平常点を加減して最終評点を出すことを認めているのであって、被告の行なってきた評価方法は、内規の趣旨に合致するものである。

(四) 職務に適格性を欠く場合

職務に適格性を欠く場合とは、その職に適しない素質、能力、性格等を有し、しかもそれが容易に矯正しがたい「しみ」のように存在し、そこに由来してある問題行動が生じ、あるいは、職務の遂行に支障を来すという場合をいうものと解すべきである。つまり、相当な期間にわたって適切な指導、助言を行なってもなお、その職に必要な適格性に欠けると思われる言動が矯正できない状態をいうと解すべきである。

本件についていえば、仮に百歩譲って、被告のした成績評価について不適切とされる部分があったとしても、被告の考え方も教育的に普遍性を有する一つの考え方である以上、それ自体教師としての能力や資質の欠陥を示すものとはいえない。ただ、それが内規との関係で問題があるとすれば、教科会での討議をふまえて、被告に対し、被告の評価方法を是正するように指導がされてしかるべきであり、その結果なおかつ被告が評価方法を改めないという事実が現出したときに始めて職務の適格性に欠けるということができる。

本件においては、原告が解雇理由としたのは昭和五四年度から昭和五六年度までの三年間の延べ七学期に被告のした成績評価であり、その対象とされた延べ生徒数は、全体で一六八五名であるが、そのうち原告が正当な評価方法をしたものと認めている生徒数は一五九四名で、その全体生徒との比率は94.6パーセントに及ぶものである。食物などのテストや、学期末の平均点計算などを入れれば、延べ生徒数は四二二二名にも及び、したがって、単純計算しても、原告がいわゆる評価方法の間違いと指摘している一一一名の比率は僅か二パーセント程度のものに過ぎず、また原告がそのうち初歩的計算ミスとして挙げている一七名を全体との比率で計算すると僅か0.4パーセントに過ぎない。しかも、前述のような指導は全くなされていないことからすると、被告に就業規則第四三条二号にいう教師としての職務の適格性が欠けているとは到底いえない。

2  解雇権の濫用

前述のように、被告にはそもそも解雇理由に該当する事実が存在せず、したがって、職務の適格性に欠ける場合に該当しないので、本件解雇は無効であるが、仮に職務の適格性を疑わせるような事実が存在したとしても、本件解雇は、以下の理由により権利の濫用に該当し、無効である。

(一) 成績評価の誤りによる影響

原告がいわゆる初歩的計算ミスとして挙げている一七名については、前記のように被告が三年間に成績評価した延べ生徒数四二二二名中の0.4パーセント(一六八五名としても一パーセント)程度で、また、通知表や学籍簿の訂正を要したものは対象生徒中の四名に過ぎず、しかも問題とされた評価は、いずれも一、二学期の成績についてであり、これらは三学期や学年評価で十分に調整可能な評点、評定であり、その意味でも実害は少ない。

(二) 評価方法の変更についての指導等

内規改定に伴って評価方法が大幅に変わったとされる昭和五二年から、本件解雇があった昭和五六年までの間、家庭科の実技評価方法や点数のつけ方などの問題で、教科会や職員会議などで問題として取り上げられたことが一切なかったばかりか、被告は、原告主張の評価方法と異なった評価方法を行なっていたとのことで学園や柳澤から唯の一度も指導、注意あるいは警告を受けたことがなかった。

(三) 成績評価の誤りがあった場合の対応

成績評価は、生徒の進学や就職にも影響するものであるから、間違いがあってはならないことは当然であるが、教師という人間のやる作業である以上、ミスが起こることは避けがたい。特に原告学園においては、公立校や他の私学と比べて、家庭科教師一人当たりの担当生徒数は五〇〇名と異常に多く、被告のように作品制作過程のチェックを一人につき四、五回行なえば、二〇〇〇回から二五〇〇回のチェックを行なうことになるが、被告はこれを真面目な努力を積み重ねて行なってきたものの、教師の持ち時間数が多く、また成績評価を行なう時間的余裕がない職場であるため、多数の生徒の評価を短時間のうちにしなければならない場合にミスが起こってくることは以前から時々あった。しかし、そのような場合は、教科担当の教師と、その生徒の担任の教師との間でミスを訂正し、その後生徒を呼んで事情を話したうえ謝って通知表を訂正することで済んでいた。

ところで、被告の場合においては、ミスが発見されたその日のうちに被告がすぐに訂正したいと申し出たにもかかわらず、担任の田中がこれを許さず、翌日には、田中は被告に計算ミスを認めた署名捺印入りの文書を作成させ、教務主任の柳澤が被告から教務手帳を取り上げ、一方的な点検を行ない、翌々日には学年主任、教科主任の同席しているところで副校長から柳澤の調べたとおりの誤りがあることの確認を求められるなど、これまでと違った扱いを受けた。これは何としてもこの機を逃さずに被告を解雇してしまおうという原告の意図を示すものであることが明らかである。

(四) 教務手帳の記載内容

教務手帳は、各教師が自分の備忘録として作成するものであるために、記載方法が決められているわけではなく、したがってそれぞれの教師が記号を用いたり、記入するペンの色を変えたりして記入するもので、他人が一見してその記入された内容を判読することは到底できない性格のものであり、これまで管理職に取り上げられて点検されるというようなこともなかった。しかるに、原告は、被告の教務手帳を取り上げて柳澤にそれを判読させ、被告の弁明を一回も聞かずに一方的に、一二四件の評価の誤りがあるとして被告を解雇したが、その判読の内容に誤りがあることはもちろん、そのような手続で被告を解雇したことは、それ自体重大な手続的瑕疵がある。

(五) 本件解雇に先立つ懲戒停職処分及び組合との不処分合意

前記(一)のいわゆる初歩的計算ミス一七件及び評価方法の間違いといわれるもの二〇数件については、昭和五六年六月一九日の頭髪違反の生徒の指導をめぐる問題と一緒に、原告は、同年九月五日に被告を懲戒停職処分に付する通知をしたが、被告は、右処分通知書の受領を拒否した。その後、原告学園の副校長と私教連の丸山慶喜との間で、被告の右停職処分の扱いについて交渉が持たれた。その交渉の中で、原告学園は、被告が右停職処分を受けなければ被告を解雇する旨述べていたため、組合としては何としても被告の身分を安定させることを重視して交渉に臨んだ。数度の交渉の結果、原告と私教連との間で、同月一二日に、①被告は、同月七日から同月一四日までの懲戒停職処分を受ける、②原告学園は、被告に対して、過去に遡って新たに教務手帳の提出を命じたりしない、③既に原告が被告から取り上げている教務手帳については、二年生の分について調査するが、それは付け間違いがあれば訂正するのを目的とし、成績のことに関しては再び処分することをしない、との合意が成立した。

しかるに、被告が停職処分後に出勤すると、校長は被告に過去三年分の教務手帳の提出を執拗に迫り、被告がこれを拒否すると、原告は同月一九日から被告の出勤停止を命じてきた。そこで、同月二五日に、原告と組合との間で団交が持たれたが、その席で、原告の代表として出席した副校長は、被告が過去の教務手帳を提出すれば出勤停止を解くことと、被告が提出した教務手帳の中身を調査しても懲戒処分はしないことを明言した。そこで被告は、副校長の発言を信頼し、早く出勤停止措置を解いてもらって授業を行ないたいと考え、やむなく同月二八日になって被告の手元にあった過去二年分の教務手帳を学園に提出した。

ところが、原告は、組合との右合意に反し、本件解雇に及んだものであって、その背信性は極めて強い。

3  不当労働行為

原告の被告に対する本件解雇は、これまでの組合や組合員に対する攻撃や、本件解雇に至る経緯からすると、原告が組合と組合員を敵視し、組合委員長である被告を学園から排除しようとして行なったものであることが明らかであり、不当労働行為として無効である。〈以下省略〉

第三争点に対する判断

一成績評価の基準

原告は、本件解雇の理由として、被告には教師としての「職務の適格性」が欠けているとし、それを基礎づける具体的事実として、別表のとおり被告の成績評価の誤り合計一二四件を主張している。そのうち、被告が単純な計算ミス・誤記として誤りを認めている別表No.1ないし11、14ないし18、同No.22、23を除くその余のものについては、その成績評価に誤りがあったのかどうかを判断するためには、前提として、原告が主張の根拠とする成績評価の基準即ち学園方式が、内規あるいはそれに基づく教科会の取決めとして存在していたのか否かという点につき検討しなければならない。

1  内規制定に至るまでの経緯

(一) 〈書証番号略〉、証人長田三枝子、同和田典子の各証言及び被告本人尋問の結果によれば、学園においては、生徒に対する成績評価につき、内規改定以前には、原則として期末考査点と作品点をそれぞれ一〇〇点満点として足して二で割り、それに±二〇点の平常点を加減するという方法をとっていたが、昭和四九年七月頃、被告が家庭科の教師として同僚の長田三枝子教諭(以下、「長田」という。)ともども最初の成績評価をするに際し、教科主任であった柳澤から、作品を提出しない場合は期末考査(ペーパーテスト)の得点がいくら良くても、評定1をつけるようにとの指導がされたこと、被告と長田は、柳澤の右指導に疑問がないわけではなかったが、それは学園が実技重視のカリキュラムをとっているからであると理解し、以後その趣旨に従った成績評価の方法をとってきたこと、その後、それまで各教科でばらばらであった評価基準を統一するために、昭和五一年七月五日と同月八日にそれに関する職員会議が開催されているが、その結果、五日の会議では、「(イ)平常点は、定期考査を主として、二〇点又は五〇点を限度として加減することができる(定期考査の平均点に、±二〇点又は五〇点まで加減してよい)、(ロ)平常点を五〇点まで考慮してよい教科は、体育、芸術、家庭、タイプとする、(ハ)何点まで平常点を見るかは、教科会で決め、決まったら教務主任の溝口先生に連絡する。」などが決定されたこと、八日の会議では「(イ)科目の評点平均を60〜50から65〜55に変更する、(ロ)出題は充分に考えて、なるべく平均六〇点となるようにする、また普段の指導も充分行い安易に点数を上げたりしないこと、やむを得ないときは三学期で考えること」などが決定されたこと、前記内規は、右職員会議の決定を基礎にして制定されたものであることなどが認められる。

(二) 原告は、柳澤が被告及び長田に対して右のような成績評価の仕方を指示したことを強く否定するとともに、内規規定以前においても、現実に長田や柳澤はそのような評価をしていないと主張し、同人らの作成した評定表を証拠として(柳澤については〈書証番号略〉、長田については〈書証番号略〉)提出し、柳澤も右主張に沿う証言をしている。しかし、被告の昭和四九年度の評定表は提出されていないだけでなく、長田の評定表には、なぜ評定が1であるのかの説明がなく、長田が被告主張とは異なる評価の仕方をしていたかどうかを明らかにすることができない。柳澤作成の評定表には、その「総合所見による教育上特記すべき事項」欄に「ベスト未提出」「編物未提出」なる記載があり、にもかかわらず当該生徒の評定は2ないし3となっているが、右の欄に記載されている他の事項は、「退学」と「休学」のみであり、しかも評定1がつけられている生徒が八人もいる(ただし退学と記載されている者二名)のに、同人らの右欄には全く何の記載もされていない(なお、長田の評定表の同欄には何らの記載もなされていない。)ことからすると、作品未提出の記載がされていることこそ不自然であり、それが真実であるかどうか極めて疑問であるといわざるをえない。証人柳澤の右供述部分は、証人長田三枝子の証言及び被告本人尋問の結果と照らし合わせると、にわかに信用しがたい。

2  学園方式について

原告は、昭和五二年五月の中旬頃に、同年四月一日付けで制定された成績評価に関する内規に基づき、「平常点の限度、内容」について決めるための家庭科の教科会が開催され、そこで学園方式が決定された旨主張し、当時学園の主事補であり、家庭科の教科主任であった柳澤も右主張に沿う証言をし、あるいは都労委の審問期日で証人として供述している(以下、両方を合わせて「柳澤証言」という。)。そして、右教科会の開催及びそこで決められたという学園方式の存在を直接裏付けるものとしては、柳澤証言のほかには、同人から聞いたという証人松浦正晃の証言がある。そこで、以下、この学園方式について検討する。

(一) 内容の合理性

(1) 学園方式は、実技が実施される一、二学期の家庭科の成績評価は、期末考査(ペーパーテスト)の点数と、中間考査に代わる平常点(前記広義の)をそれぞれ一〇〇点満点とし、それを足して二で割った評点を1から5までの五段階で評定する方法であり、右平常点には、出来ばえで評価する作品点の他に狭義の平常点も含まれるとするものである。この方法は、期末考査点と作品点をそれぞ一〇〇点満点として足して二で割ったものに、±二〇点の限度で狭義の平常点(作品の提出期限を守ったか否か、日頃の授業態度、出席率等)を加減する内規制定以前の方式よりも、実技に関する点数の比率が低くなるものといえる。なぜなら、従前の方式であれば、期末考査の点数に対しても作品点と同じ比率で平常点を考慮して減点し得るのに対し、学園方式であれば、平常点で減点できるのは作品点を含めた実技点だけとなるからである(端的にいうと、従前の方式は期末考査の一〇〇点は評点には必ずしも五〇点として反映されないのに対し、学園方式では必ず五〇点として反映されることになる。)。したがって、仮に、学園方式が教科会で決められたとすれば、教科会は、実技評価の比率を以前よりも相対的に低くして、ペーパーテストの点数の評価の比率を高くすべきものと判断したことになる。

(2) しかしながら、〈書証番号略〉、証人和田典子の証言及び被告本人尋問の結果によれば、学園では、一、二年生の家庭科の授業においては、授業時間の平均約七〇パーセントを実技が占め、他の普通高校と比べると実技重視のカリキュラムになっていることが認められ、この点からすると、全体的に七割を占める実技の評価が評点のうえで最大限評点の五割までしか認められないとすること自体、カリキュラムに照らし一貫性がないといわざるをえないだけではなく、少なくとも、本件証拠中に、内規を制定しあるいはそれに基づく教科会で平常点の限度と内容を決定するに際し、職員会議や教科会で、従前よりも家庭科において実技点数の比率を低くするのが相当であるとの議論がされたことを窺わせるものは全くない。むしろ、内規において、従前よりも実技科目における平常点を二〇点から五〇点に上げたのは、一般教科よりも実技科目においては実技点を重視する趣旨であることは、内規の文面からも明らかであるだけでなく、柳澤の証言によっても疑問の余地はない。そうであるとすると、学園方式は、右に述べたように実技の評価を相対的に低下させるものであるから、家庭科の成績評価において内規の趣旨に明らかに反するものといわざるをえない。また、内規と教科会における取決めとの関係からすると、職員会議によって検討されたうえ、学園全体の規範ともなっている内規が、その一部で構成される教科会の決定によって全く文言とは異なる意味を与えられているとみるのは合理的ではない。

(3) また、学園方式によると、講義の時間中の授業態度は平常点として勘案できないことになるように考えられるが、柳澤の陳述書(〈書証番号略〉)中には、七、八時間位講義をやる場合には、その間にレポート等を提出させるのが普通であるので、それは狭義の平常点として広義の平常点の評価に加えることになっている旨の記載部分がある。しかし、それではそもそも学園方式に反するだけではなく、学園方式では期末考査点につき、平常点を評価して減ずることはありえないというのが前提であるから、実技の平常点の範囲がますます狭くなり、しかもその狭義の平常点の割合について教科会ででも定めておかなければ主観による評点のばらつきが多くなるはずであるにもかかわらず、そのような定めがされたことを窺わせる証拠はなく、その点でも不合理というほかない。

(4) したがって、内規の「平常点の限度、内容については年度初めの各教科会において科目こどに決めておくこととする。」との規定は、評点を決定する際に、「平常点(学習態度、提出物、平常考査、出席状況など)」を二〇点ないし五〇点の範囲で加減することができることを基本として、平常点の内容及び限度については、内規の趣旨に反しない限りで、各教科会の判断に裁量の余地を認めているものと解するのが相当である。しかるに、柳澤は、学園方式では平常点をマイナスに評価することができないとの趣旨のような証言をしているが、それは内規の規定の文言に明らかに反しているものというべきであり、もし家庭科においてそのような必要があるのであれば、職員会議で検討した際にそのような意見が当然提出され、内規自体が異なる文言になっていたであろうと推認されるところ、前記職員会議において、そのような議論が出たことを窺わせる証拠はない。

(二) 取決めに関する外形的事実

学園方式によると、中間考査に代えて平常点(柳澤は広義の平常点ともいう。〈書証番号略〉)を評価の対象にし、右平常点は、従前の作品点に従前の平常点(柳澤のいう狭義の平常点)を合わせたものを意味するものであり、しかも、作品の制作過程をいくつかの段階に分け、その段階ごとに平常点(広義の)を積み重ねていくものであるというのであるから、内規制定前の平常点と制定後のそれとは大きく意味が異なるのであって、このことは原告も自認するところである。このように、従前の評価方法と大きく変わる評価方法(しかも、従前の評価方法と比べるとはるかに複雑である。)を定めた場合は、それが生徒の成績評価の根本基準であることを考えれば、学園側にとっても重要な事柄であるから、当然学園側の教務上の記録として文書にして残されねばならない性格のものであると考えられ、前記職員会議の決定でも、平常点の限度を定めた場合には教務主任に届け出ることとしているのもこの趣旨に基づくものであると解される。

しかるに、本件においては、原告から学園方式の内容及びその取決めがされたことを示す文書は証拠として一切提出されていないことはもとより、教科会の日時をも明らかにするものがなく、教科会の議事録も存在しないことは柳澤証言によって認められる(柳澤は、そのメモは残っていると証言するが、それが証拠としては提出されておらず、その理由も明らかではない。)ところである。また、柳澤は、教科会の後に溝口に届け出たと述べている(〈書証番号略〉)が、そうであるとすれば、何らかの形で書面として残されているはずであるにもかかわらず、その存在を示すに足りる証拠はない。

(三) 内規制定後の経緯

(1) 被告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和四九年四月に原告学園に採用されて以来、一貫して、作品未提出の生徒及び期限に遅れて作品を提出した生徒に対し、原則として29.1あるいは30.2とする成績評価の仕方をしてきたし、年度初めには、生徒に対し、作品を提出しない場合には評定1がつくことをあらかじめ告知していたにもかかわらず、昭和五四年度一学期から昭和五六年度の一学期までの間はもとより、被告が学園に勤務して以来、被告が担当したクラスの生徒及びその父兄並びに家庭科を担当してきた同僚教師の間で、被告の右評価方法は誤りであるとか、疑問があるとか指摘されたことはなかったことが認められ、この点が従前に問題とされたことがなかったことは柳澤も証言中で認めているところである。

(2) 〈書証番号略〉、証人長田三枝子、同柳澤の各証言及び被告本人尋問の結果によれば、学園においては、一、二学期に評定1がつけられた生徒は、二学期、三学期にそれぞれ再試験を受けなければならないことになっており、再試験の場合には、学期末試験を受験できなかった生徒が受ける追試験の受験者と一緒に、教科名と名前が記入された受験者の一覧表が作成されていたこと、昭和五五年度(原告の主張では、この年の一学年についてだけでも、作品未提出者の評価を誤ったもの一八件、うち評定1としてあるもの四件、作品を遅れて提出した者の評価を誤ったもの一一件、うち評定1としてあるもの五件となっている。)には、被告と柳澤は、他の教師一名と共に、一年生の普通科のクラスを分担して受け持っていたが、柳澤は当時家庭科の教科主任であり、教科主任の役割は教材及びそれに携わる教師の管理監督をすることであったことが認められる。右事実によれば、当時柳澤は、毎学期の再試験を受験する生徒の数及びその所属クラスを当然に把握していたものと推認でき、そして、被告の評価方法が他の教師の評価方法と異なっているとすれば、被告の担当したクラスの生徒の再試験受験者数が多くなる道理である(被告主張の評価方法であれば、最終作品未提出であれば原則として評定1であるのに、学園方式であれば、最終作品が出なくとも、作品点がゼロになるのは最終作品の部分だけで、それまでの提出ないしチェック段階の点数は積み重ねられ、しかも、それが減点されることはありえないというのであるから、四段階、五段階に分けて提出ないしチェックしている場合は実技点で評点29以下がつくことは極めて稀なことになる)から、教科主任としてはその原因を調べるべき機会があったはずであり、その段階で被告の評価方法に問題があることに気付いているはずである。

(3) 右の事実関係からすると、これまで被告の成績評価の方法が問題にならなかったのは、柳澤自身も学園方式に従っていなかったか、あるいはそもそも学園方式なるものが教科会で決められていなかったかのどちらかしか考えられないというべきである。自分は学園方式に従って成績評価をしながら、被告の成績評価方法が学園方式に違反していることに四年間以上も気が付かなかったとの柳澤証言は、到底信用しがたい。

3  教科会における学園方式の取決めの有無

(一) 〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、内規規定後の昭和五二年五月当時、学園の家庭科教師は専任教師として柳澤と被告、非常勤講師として小松原智伊がいたが、家庭科では内規が制定されたからといって特別平常点の限度や内容について協議する教科会は開かれたことがなく、単に以前よりは実技科目である家庭科においては平常点の幅が広がったものと理解し、従前の評価方法がとられていたことが認められる。

(二) なお、原告は、被告自身が作成した評定表によると、作品未提出者と思われる29・1が、内規制定前の昭和五〇年度には一クラスに八名、五一年度には一クラスに三名いるのに対し、内規制定後の昭和五二年度には四クラスでゼロになっているが、同年度になって急に作品未提出者がいなくなったとは考えられないから、これは被告が同年度の内規制定後いったん作品未提出者の評価方法を変えたことが明らかで、そのことは新たな取決めがなされたことを裏付けるものであると主張する。

なるほど、〈書証番号略〉によれば、29・1の生徒の数については、原告主張のとおりの事実が認められる。しかしながら、右各証書、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、学園においては、各学年によって実技における制作物として何を扱うかは異なっており、また同一学年であっても各年度によって必ずしも実技の内容あるいは方法が同一でないこと、原告は、昭和五〇年度及び同五一年度については、各一クラスの評定表を証拠として提出しているにすぎないが、被告はこれまで毎年複数のクラスを担当してきたものであって、右各年度においても提出されていない評定表が存在すること、少なくとも、昭和五一年度については、実技のある一、二年生に関しては五クラスを担当し、そのうち29・1が合計四件、評点29以外の評定1をつけたものが四件あり、五クラスのうち29・1をつけた者がいるクラスは二クラスに過ぎず、三クラスで29・1の生徒がいないこと、昭和五二年度についても、四クラスのうちで実技がある一、二学期で評定1がつけられたものは五件であることが認められる。右事実関係のもとにおいては、原告主張の事実のみからでは、被告が昭和五一年度以前と昭和五二年度では、成績評価の方法を変えたと認めることはできない。

4  柳澤証言の信用性

前記のように、家庭科教科会において、学園方式が決定されたことを直接裏付ける証拠としては、柳澤証言をおいてほかにないが、同証言は、次のとおり信用することができない。

(一) まず、学園方式による具体的な家庭科の実技に関する成績評価の仕方について、柳澤は、当初、教科会で決めたところに従って作品の制作過程を数段階に分け、各段階ごとに作品の出来ばえや提出期限までに出したかどうかなどの狭義の平常点を点数化して評価する旨証言していたが、その後、被告代理人の反対尋問に答えるうちに証言を変え、途中の評価は段階を表わすABCなどの記号で記載しておいて、学期末の評価を出すときにその記号に基づいてそれぞれの点数化を行なう旨供述し、その際には各段階の作品点と狭義の平常点の比率については各担当者に任せ、打ち合わせはしていなかったし、そのようなことをするとなると大変であって不可能である旨証言するに至った。

しかしながら、この点こそ、学園方式がそれまでの評価方法と根本的に異なる部分であり、そのためにこそ教科会で柳澤自身が中心となって充分話し合ったはずであるにもかかわらず、この最も重要な部分についての柳澤証言は、内容が明確でなく、あいまいであり、不自然というほかない。特に、原告は、新しく学園方式が決められた趣旨は、今までの出来ばえを中心に見る作品点では、教師による主観が入りやすく、また、他人の作品を出して高い点数を獲得するおそれがあるだけでなく、不器用でも努力する子供が評価されない弊害があるから、評価を客観的にし、経過を重視した評価をするためであると主張し、柳澤もそれに沿う証言をしているが、少なくとも主観の排除のためには、各段階における点数の配分比率や、いわゆる出来ばえを中心とした作品点の部分と、提出期限の遵守、授業態度、出席状況などの狭義の平常点の部分との相互の点数の配分比率につき担当教師間で決めておく必要があり、これを担当教師間で決めてこそ学園方式の狙いがそれなりに一貫することになるものであるにもかかわらず、その点につき明確な取決めないし打ち合わせをしたことを認めるに足りる証拠がなく、そのような取決めなどは大変でできないということでは首尾が一貫しておらず不自然であり、また学園方式の現実性のなさを露呈しているものといわざるをえず、柳澤の証言を信用することはできない。

(二) 学園方式を決定したという教科会に関する柳澤証言についてみるに、前記3(一)の事実によれば、右教科会が開かれたかどうか問題とされている昭和五二年五月当時は、学園の家庭科の教師は、専任教師の被告と柳澤、非常勤講師の小松原だけの僅か三人であることが認められ、したがって、右に述べたような重要な取決めをした会であれば出席者が誰であったかは当然記憶にあるはずであるにもかかわらず、当初の証言では当時いないはずの塚本奈緒美教諭が参加した旨供述し、後にそれが誤りであることを指摘されると、労働委員会では、右小松原が色々な経験を生かして意見を述べた旨供述(〈書証番号略〉)するなど、重要な点で供述に変遷があり、この点でも柳澤の供述は不自然であるといわざるをえない。

(三) 柳澤証言は、学園方式で成績評価をするためには、かなり細かい評価が必要となり、したがって教務手帳の記載の仕方にも従前と違った工夫がされているはずであるし、また、教務手帳の記載方法についても教科会で決めていたというのであるが、そうであれば、柳澤が供述するところは同人の教務手帳に具体的に記載されているはずであり、しかも前述のとおり、昭和五五年度は柳澤と被告は同学年の同学科のクラスを分担して担当していたというのであるから、被告が教科会の定めに違反する成績評価をしていたことを立証するためには、被告の教務手帳と対比する形で、柳澤の教務手帳を証拠として提出するのが最良かつ最も簡便な方法というべきであるにもかかわらず、本件訴訟において柳澤の教務手帳が証拠として提出されず、また労働委員会における審問手続においても、教務手帳が提出された形跡が窺われないということは不可解というほかはなく、このことからしても、柳澤証言は到底信用できない。

5  以上検討したところを総合するに、原告主張の学園方式は、その内容それ自体、内規の文言や趣旨に反するだけではなく、学園の家庭科授業の実態にも合致せず、また、その性質上それが定められたなら当然伴うべき外形的な事実も存在せず、さらに、これまで学園方式に反するとされる被告の成績評価について長年にわたって問題とされたことがないという経緯からすると、学園の家庭科教科会において、学園方式が取り決められたとは認めがたい。また、これを肯定する柳澤の証言は信用しがたく、他に学園方式が教科会で取り決められたことを認めるに足りる証拠はない。

以上のように、そもそも学園方式なるものが内規制定後に教科会で決められたと認めるに足りる証拠はなく、したがって、原告主張の評価の誤りのうち、作品未提出者及び期限に遅れて作品を提出した生徒に対する評価方法が、学園方式に反するとの主張は、その根拠を失うものといわざるをえない。

二成績評価の誤りの有無

1  初歩的計算ミス(別表1(1)(2))

原告が、別表1(1)(2)で主張する誤りのうち、争いがあるNo.12とNo.13のみについて判断するに、これらが計算ミスであることを認めるに足りる証拠はなく、却って、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、No.12については、その学期の最終作品であるモチーフつなぎが未提出であったため、29・1にしたものであること、No.13については、その学期の最終作品であるモチーフつなぎの提出が期限に遅れたうえ日常の忘れ物があるため作品点は二五点であったこと及び期末考査は三二点であったが主要な評価の対象作品は提出されていることから、30・2と評価したものであることが認められる。

2  評定表への転記ミス(別表2)

原告が、別表2で主張する誤りのうち、争いがあるNo.19ないし21について判断するに、〈書証番号略〉及び証人柳澤の証言によると、被告の教務手帳の記載と評定表の記載とが別表2のとおり一致しないこと、通常は教務手帳に記載されたところを評定表に記載する手順をとることが認められ、それからすると原告主張のように転記ミスであるかのようにも考えられるが、他方、〈書証番号略〉によれば、いずれも教務手帳の点数と評定表の点数とが一〇点、二〇点の単位で大きく異なっているだけでなく、教務手帳の当該生徒の近辺の誤読されやすい部分に評定表記載の点数は記載されていないことが認められ、これらの事実を合わせ考えると、これらが転記ミスであるとまでは判断できない。却って、被告本人尋問の結果によれば、学園においては教務手帳の記載事項及び記載方法について格別の定めがなく各教師に任されていたところ、No.19、21については、平常の授業態度が真面目であること等を評価して加点したこと、No.20については、授業態度が不良であったことを考慮して減点したが、教務手帳に右加減の訂正を記載しなかったことが認められる。

3  作品未提出及び提出遅れの生徒に対する被告の評価の仕方(別表3、4)

原告は、被告の評価方法が、内規には「評点は定期考査を主として、学習効果を総合的に考慮して決定する」と定められているにもかかわらず、作品未提出者については、定期考査点を一切無視しているものであるから、内規に違反する旨主張するので、その点につき判断する。

(一) 学園の家庭科では、中間考査(ペーパーテスト)を実施していない(このことは当事者間に争いはない。)のであるから、仮に定期考査をペーパーテストに限定し、これに内規を文言に従って適用するとして、定期考査の点数に平常点として五〇点の範囲で加減すると、期末考査が八〇点以上の生徒につき、作品が提出されていないということで平常点を減点し、29・1と評価すれば、内規に反することになろう。

しかしながら、内規によれば、評点はまず定期考査(中間、期末考査)を主として決定することとされているが、他方、中間、期末考査は均等に評価するとされていることからすると、内規の文言は、中間及び期末の各考査(ペーパーテスト)が実施される一般教科を念頭に置いたものとなっているといえる。〈書証番号略〉によれば、ペーパーテストを行なわない実技科目である書道においては、内規制定後も、内規の文言にとらわれずに、作品点を決め、それに出席状況等を加味して評価を行なってきたことが認められるが、前記のように、家庭科においては、内規制定の前後を通じ、期末考査点と作品点をそれぞれ一〇〇点満点として足して二で割っているのであるから、作品点を中間考査に代わるものと扱ってきたことが明らかであり、そのこと自体は、他の実技科目の場合に照らしても、内規に違反するものでないことが明らかである。そうであるとすれば、作品未提出の生徒については、作品点がないのであるから、期末考査点が一〇〇点の生徒であっても、平常点を加減する以前の点数は五〇点にしかならないのであって、その点数に五〇点の限度で平常点を加減し、29・1と評価することは、内規上可能であって内規に違反したものとはいえないのであり、また、定期考査点を無視したものともいえない。

(二) このことは作品を期限までに提出しなかった生徒に対して30・2と評価することについても同様のことがいえる。

(三) 原告は、テストでどんなに頑張っても評定1となるのでは不合理である趣旨の主張をするが、それは、学園方式を採った場合には、その学期の大半を実技に費やしたのに、僅かな時間の講義に基づきテストで一〇〇点をとれば全く作品を提出しなくとも評点、評定が50・3と評価されるのが不合理なこととなるのと同じであり、被告の評価方法を非難する理由とはならない。却って、証人和田典子、同高月佳子の各証言によれば、被告の評価方法は特異な方法ではなく、家庭科実習特に被服制作授業等において、目的の制作物を完成させることに重点を置いたもので、家庭科教育という教育的見地からも、それなりに合理性のある評価方法であることが認められる。

4  作品を提出した生徒の平常点をゼロとした点(別表5)

(一) 原告は、別表5記載の一八名については、作品が提出されているにもかかわらず平常点がゼロとされている点が誤りである旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(二) 却って、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、No.93ないし110の生徒については、最終作品が評定後も提出されなかったか、あるいは評定後に提出されたものであることが認められ、原告の主張はその前提を欠く。

証人柳澤の証言によれば、柳澤が右一八名について、原告主張の誤りがあると判断するに至った根拠は、柳澤が被告の教務手帳を調べてみると、「」あるいは「提」と記載されているにもかかわらず、作品点がゼロとなっているので、不審に思って一部生徒に確認したところ、作品は提出した旨述べたので、被告の誤りであると考えたものであるが、No.105から110までの生徒については確認もしていないし、被告にはすべて一切確認していないことが認められる。しかしながら、いずれの件についても、作品提出時期から少なくとも一年以上経過しているにもかかわらず、同証言によれば、柳澤は、生徒に「あなたはいつも遅れる方の人なのかなあ」という聞き方をしたところ、「そんなことは絶対ありません」「きちんと提出しています」と答えたことをもって、被告の誤りであると判断したことが認められるが、その程度の確認で教務手帳の記載が誤りであるとは判断できず、当該教師に対して確認することすらしないで右のような結論を出したことは軽率のそしりを免れない。しかも、右各書証によれば、原告が主張する生徒の教務手帳の記載欄には、作品提出済みを前提に評価されているのに特にその旨が記載されていない他の者とは異なって、特に「」ないし「提」の記載がなされていることが明らかであり、これらは提出期限に遅れて提出された事情を示しているものといえる。

5  作品未提出であるにもかかわらず提出扱い(別表6)

原告は、別表6の生徒については、作品が未提出であるにもかかわらず、提出扱いとする誤りがある旨主張し、証人柳澤は、被告が停職処分中、柳澤が被告の代行をしていた際、No.111の生徒がまだ作品を提出していなかったと言って作品を提出してきたので、教務手帳を見たところ既に提出した扱いになっていたため、事情を聞いたところ、No.26の生徒と一緒にいったんは提出し、同生徒は受け取ってもらったものの、No.111の生徒は未完成であったから返却されたことが分かった旨供述している。

しかし、証人柳澤の証言によれば、本件についても、被告本人に対し教務手帳の記載内容について何らの確認もしていないことが認められるだけでなく、〈書証番号略〉によれば、No.26の生徒は、作品未提出である旨記載されていることが認められ、この事実と照らし合わせると同証人の右供述はにわかに信用しがたく、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

6  評点算出の根拠が全く不可解なもの(別表7)

(一) 原告が、平常点・考査点共に教務手帳に同じような記載があるのに評定が2と1に分かれるのが不可解であると主張する件(例1)については、証人柳澤の証言及び被告本人尋問の結果によれば、学園においては、教務手帳の具体的な記入事項及び記入方法については何ら統一的な取決めはされていないところ、右四件について被告に何らの具体的説明を求めていないことが認められる。そうであるとすると、そもそもこれらの件については、原告は、被告の教務手帳からでは評点と評定の根拠が分からないことをもって、誤りであるとしているとしか考えられない。

しかし、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、No.112とNo.113との関係では、前者は、最終作品は提出したが途中の制作物を提出していないので30・2と評価したのに対し、後者は、最終作品未提出であるため29・1と評価したもので、作品点の四〇点は記入ミスであり、評定表記入時に評点29に変更したものであること、また、No.114とNo.115との関係では、No.115は、最終作品のうち、刺繍自由作品は未提出であったが、浴衣完成品は提出しているので、30・2と評価したのに対し、No.114は、この学期はまともな作品は一つも提出しておらず、最終作品も共に未完成で提出しているので、29・1と評価したことが認められ、いずれも内規に違反する評価をした事実は認められない。

(二) 原告が、同一日に一緒に作品を提出したのに一人だけ作品点が認められなかったと主張する件(例2)については、証人柳澤は、No.116ないしNo.118の生徒は、同じ日に作品を提出したものであり、当該生徒に証人自身が確認した旨供述している。

しかしながら、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、被告の教務手帳の右三人の作品の提出をチェックする欄には、No.116は鉛筆で、No.117、118はボールペンで書かれており、また、内容的にはいずれも「提」、No.117には「再」、No.118には「レ」のチェック印が記載されていることが認められるところ、同一日に同時に提出したのであれば、同一の筆記用具で書かれているはずであり、記載内容も同一のはずであることからすると、柳澤の右証言は信用しがたく、他に右供述を裏付けるに足りる証拠はない。却って、前記各証拠によれば、No.116は、評定時までには作品が未提出であり、No.117は、提出したが再度やり直させられた者であり、No.118は、普通に提出したものであることが認められ、内規に違反するところは認められない。

(三) 原告が、考査点の低い方に評定2がつき高い方に評定1がついたと主張する件(例3)については、原告はこれらの生徒の平常点はいずれも零点であるとし、考査点だけで比較している。

しかしながら、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、No.119とNo.120では、いずれも最終作品を提出していないのであるが、前者は、後者と比べて期末考査点は低いが途中提出物は多く出しており、後者は、夏休み宿題を提出しておらず、また、しばしば授業を妨害するようなことがあったので、前者は30・2、後者は29・1と評価したこと、また、No.121とNo.122は、前者は後者と比べて期末考査点が低く、最終作品も提出していないが、途中作品を提出しており、後者は、前者より考査点は高いが、最終作品を評定前には提出していないし、途中の作品を一切提出していないので、前者は30・2、後者は29・1と評価したことが認められる。このような事情のもとにおいては、No.119ないしNo.122が内規に違反しているとは認められない。

(四) 原告が、平常点がゼロであるのに考査点よりも評点が高かったと主張する件(例4)については、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、いずれも期末考査点に平常点(ただし、原告の主張する広義の平常点とは異なる。)を加えたものであることが明らかであり、それ自体何ら内規に違反するものでないことは、前記3に述べたとおりである。

7  その他の評点及び評定のアンバラス

原告は、本件解雇の理由として別表に記載した趣旨の評価の誤りを主張しており、証人柳澤及び同松浦正晃は、これに沿う証言をする一方、これを裏付ける趣旨で、被告が昭和五四年度一学期から昭和五六年度一学期までに担当したすべての生徒について、その教務手帳の記載の相互間の不整合あるいはアンバランスを指摘し、被告の成績評価が恣意的である旨を供述している。

思うに、学校教育における教師の生徒に対する成績評価は、生徒の学習内容についての理解の達成度を評価するものであり、単なる知識の量だけではなく、学習の過程における意欲、態度等を併せて具体的、専門的に判定すべきものであるから、性質上当然に、それは教師の専門的教育的な観点に基づく裁量に委ねられているものと解される。しかも、そこには教科の特性に応じた配慮が必要と考えられ、ことに実技科目である家庭科は、衣食住及び保育などに関する基礎的な知識と技術を体験的・総合的に習得させ、家庭生活及びこれらに関する職業に必要な能力と実践的態度を育てることを目標としており(高等学校学習指導要領)、評価の対象そのものが広範であるうえ評価の内容が異なるため、評価の基準を客観的一義的に定めることは困難であって、評価の仕方についての当該教師の自主的判断にその裁量を認めるべきものと解するのが相当である。もっとも、そうであるからといって、客観的に公正、平等を欠く評価の仕方が、当該教師において正しいと考えさえすれば教師の裁量性の故をもって許されるといえるものでないことも明らかである。そこで、各学校においては、客観的に公正、平等な成績評価の基準を設けることによって、教師の評価の合理性を確保し、特に同一科目を複数の教師が担当するような場合に、教師間における判断のばらつきを防止することができるものであり、学園においても、内規が制定される以前から、家庭科の前記基準があり、それに従って教師は成績評価をしてきたものということができる。したがって、当該教師が、基本的にその評価基準に従って評価を行なっている以上、その評価における裁量の結果が社会通念上著しく妥当性を欠き、明らかに不合理であると認められる場合でない限り、当該教師の個々の成績評価を誤りであると断定することはできない。

本件においてこれをみるに、前記認定のように、学園では、内規制定の前後を通じて、家庭科における実技が実施される学期の成績評価の方法は、期末考査点と作品点とをそれぞれ一〇〇点満点として足して二で割り、これに内規制定前は±二〇点、内規制定後は±五〇点の限度で平常点を加減して評点及び評定を出すというものであり、被告もこれに従ってきたものである。そして、被告本人尋問の結果によれば、右評価方法の範囲内で、被告は、同人の主張する各基準をたて、これに従って成績評価をしてきたものであることが認められ、その内容が、右成績評価の方法に反しておらず、教育的専門的裁量の範囲を越えているものといえないことも明らかである。

そうであるとすれば、被告が行なった個々の生徒の成績評価を取り上げて、これを誤りであると安易に判断することは許されないものというべきである。しかるに本件では、原告は、被告の教務手帳の記載を根拠に、被告の成績評価の誤り(その大前提となる学園方式なるものが存在しないことは前記認定のとおりであるが)を指摘しているのであるが、証人柳澤の証言及び被告本人尋問の結果によれば、原告は、計算ミスの一部を除いては、被告の教務手帳を、記載者本人でなければ理解しがたい部分が多く含まれている(柳澤自身、他人の教務手帳を正確に判読することは困難である旨証言している。)にもかかわらず、記載者である被告の釈明も聞かずに、一方的に解釈し、誤りを指摘していることが認められるのであって、そのこと自体、誤りを指摘する方法として合理性を欠くものといわざるをえない。

教務手帳は、生徒の成績評価を客観的に公正、平等にするための具体的記録であり、その信頼性、妥当性を高めるためには、その記載事項、記載内容及び記載方法が統一され、その記載から直ちに生徒の評点や評定が導き出されるようなシステムが採られていることが望まれるが、学園においては、教務手帳に関して右に述べたようなシステムが取られていなかったのであるから、第三者が教務手帳に基づいてそこに記載されている生徒間の成績評価のアンバランスを記載者本人の説明を受けないで指摘すること自体極めて困難である。しかも、原告が種々の指摘する各生徒の成績評価の記載はその内容自体それぞれ異なっていることが認められるのであって、そのことからしても、教務手帳をもとに被告の評価にアンバランスの誤りがあると断定することはできず、証人柳澤及び同松浦正晃の証言を採用することはできない。

三職務の適格性の有無

以上からすると、被告の成績評価の誤りとして認められるのは、被告が誤りであることを認めている別表No.1ないし11、No.14ないし18及びNo.22、23の合計一八件(以下、「本件ミス」という。)に尽きるというべきであるから、これらの誤りをもって、被告には就業規則第四三条二項に定める教師としての適格性が欠けている場合に当たるといえるかどうかを検討する。

1 原告の就業規則に定める「職務に適格性を欠くとき」とは、それが教職員の解職事由であることに照らすと、当該教職員の容易に矯正しがたい持続性を有する能力、素質、性格等に基因してその職務の遂行に障害があり、または障害が生ずる恐れの大きい場合をいうものと解するのが相当である。

これを、教師の生徒に対する成績評価の誤りについてみると、生徒の成績評価は、教師の職務のうちにあって極めて重要な部分であり、正確な成績評価をする能力は、教師という職務に携わる者にとって欠くことのできないものであり、また、評価を受ける生徒にとっても重大なことであって、証人松浦正晃の証言によれば、成績評価の誤りは、その生徒の学園内における席次の問題だけではなく、進学や就職の推薦の問題にも重大な影響を及ぼすものであることが認められ、したがって、その誤りが単なる計算ミスであるからといって安易に看過することができないものである。それ故、その成績評価の誤りが、容易に改善しがたいその教師の物の見方の偏りや独断に基づくものである場合、あるいは容易に矯正しがたい恒常的な注意力の欠如に基づく場合には、教師として職務の適格性に欠けるものということができる。

2 証人松浦正晃の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和四九年に学園に家庭科の教師として採用されて以来、本件成績評価をめぐる問題が生ずるまでの約七年間、学園の教師あるいは生徒や父兄の間で教師としての職務遂行に際して問題行動して指摘されるようなことがなかったこと、本件ミスは、いずれもいわば単純な計算ミスであり、学園においてこれまで被告以外にも数件の同種の間違いが生徒から指摘され、爾後に担当教諭、担任教諭の確認を経て訂正されてきたことが認められる。また、被告の本件ミスは合計一八件であって少ないものとはいえないが、前記のように、本件ミスが問題となった昭和五四年度一学期から昭和五六年度一学期の間に被告が担当した生徒数は一六〇〇名を超えていることからすると、異常な数であるとまではいえないし、その発生した年度を見ると、昭和五四年度の一、三学期が合計三件、昭和五五年度の一、二学期が合計四件、昭和五六年度一学期に一一件となっており、その多くが昭和五六年度一学期に集中しているといえる。

ところで、〈書証番号略〉証人寺島やえ、同矢口由紀子及び同西村恵子の各証言並びに被告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、組合を結成して以来その執行委員長をつとめてきたが、組合結成後組合と原告学園との間で、組合員である寺島やえが違法に一切の職務を取り上げられたうえ、他の職員から隔離されて配置されるという問題、職員室での組合ニュースの配布をめぐり、学園から、内規違反であると指摘され、配布中止に至った問題、賃金に関する団体交渉をめぐって都労委の斡旋を受けるなどした問題等が次々と発生し、被告が委員長であったことから、職員会議において名指しでそれらについて返答を求められるということがあった。その間、昭和五六年三月に、組合が右寺島に対する仕事外し及び組合員に対する賃金差別について都労委に不当労働行為救済申立てを行なったことから、学園と組合との対立はますます深まっていった。

(二)  昭和五五年六月と一一月頃の二回にわたり、校長及び柳澤は、福島県にある被告の実家に電話をし、同人の両親に対して、同人が組合を作ったり好ましくないことをやっているので止めるように言ってほしい旨依頼した。そして、そのような中で、昭和五六年六月一九日午前、被告が職員室にいたところ、突然副校長がはいってきて、校庭で体育の授業を受けている生徒二人が頭髪違反であるとし、それが被告の担任するクラスの生徒であることを知ると、わざわざ校庭に出て行かなくともその状況が分かるにもかかわらず、被告に対してすぐに見に行くことを命じた。被告は、体育の教諭の授業中でもあることから、副校長の指導はここで伺うことができる旨を答えたところ、副校長から命令に従えないのかと強く注意されたため、その生徒の状況を見に行き、授業終了後、生徒の頭髪を直させて副校長に報告した。同日の昼休み、被告は、副校長からすぐに命令に従わなかったのがおかしいとして詰問され、その点について謝ったものの、放課後午後五時頃から九時頃までの間、副校長や同室していた主任の教諭及び体育担当の教諭から、被告の副校長に対する態度が悪いとして詰問され、体育の教師からは明日から机を出すなどと怒鳴られた。そこで組合は、これを組合委員長に対する長時間の差別攻撃であるとして、同月二六日付けで学園に対し抗議文を提出したが、その抗議文中、経営者が主任を使って組合攻撃をした旨の文言が相当でないとして主任教諭からも職員会議や朝会でその訂正をすべきことを何度も要求されるに至ったため、組合は、これ以上対立関係をエスカレートさせるのは好ましくないと判断し、同年七月一四日付けで抗議文の内容を一部訂正する旨の通知書を原告学園に提出した。翌一五日、被告が生徒の伝染病による欠席について校長に報告した際、校長は、被告の報告の仕方が悪いとして反省を求め、「あなたは権利を主張する人間だから、特に厳しくならざるをえないのです。解雇するから、あなたたちは裁判でも何でもしたらよいでしょう。」と述べた。

(三)  右各事実からすると、被告が昭和五六年度一学期の成績表を作成した昭和五六年七月頃は、組合と学園との対立関係が今まで以上に激化し、組合委員長として中心的に活動している被告に対して不必要な差別扱いをし、ことに頭髪違反問題をめぐる学園の不当に厳しい対応により、被告は相当に苦慮困惑し、これが被告の本来の職務遂行に影響を与えていたであろうことは容易に窺われる。

3 また、本件ミスのうち、昭和五六年度一学期分の一一件は、既に、前記懲戒停職処分の時点で学園側に発覚しており、頭髪違反問題における被告の副校長の命令に対する不服従等と共に処分の理由とされていたものであることからすると、学園自身、これらのミスがあることをもって、被告に教師としての職務の適格性に欠けるとは判断していなかったものと認めるのが相当である。そして、その後発覚した昭和五四年度、五五年度の合計七件のミスと共に、右処分の対象となったミスを職務の適格性の判断の資料として斟酌すること自体は、二重処分に該当するということはできないが、その後発覚したミスはその内容に格別重大な事情が付加されたものとは認めがたく、したがって、これらのミスが新たに判明したからといって、その判断に質的な変化が生ずるとは考えがたい。このことは、その後に提出された二冊の被告の教務手帳を再調査した柳澤が、当時このことが解雇の理由になるとは考えていなかった旨供述している(〈書証番号略〉)ことからも裏付けられる。

4 以上の諸事実を総合して判断すれば、被告の本件ミスは、これが生徒に及ぼす影響等からすれば、軽微な誤りであるといえないことは明らかではあるが、それが被告の能力、素質、性格に基づくものであって矯正が容易でないものであるとは到底認められず、したがって、本件ミスによって、被告に教師としての職務の適格性が欠けていたとまではいえない。

四本件解雇の効力

以上のように、被告には、原告の就業規則第四三条二号に該当する事実は認められない。

ところで、原告の就業規則(〈書証番号略〉)には、懲戒解雇の規定のほかに、第四三条で「法人は、職員が左の各号の一に該当する時は…解職することができる。」とし、第一号から第六号までの六つの具体的事由を掲げると共に、第七号で「それらに準ずる事由のあるとき」と定められているが、本件においては、前記諸事実に照らすと、右規定にいう「それらに準ずる事由」も認められないので、原告の被告に対する本件解雇の意思表示は、被告主張のその余の点につき判断するまでもなく、無効というべきである。

五将来の賃金請求について

以上のとおり、原告の被告に対する本件解雇は無効であるから、原告は被告に対し、既に支払期日が経過した分の賃金を支払うべき義務があり、また、被告が請求している将来の賃金の請求についても、前記認定の諸事情からすると、本判決確定までの分については、被告において予め請求する利益があると認められるが、本判決確定後の分については特段の事情が認められない限り請求する利益があるとはいえないところ、本件においては右特段の事情は認められないので、本判決確定後の分は、訴えの利益がないものとして、訴えを却下する。

(裁判長裁判官遠藤賢治 裁判官塩田直也 裁判官高田健一は填補のため署名押印することができない。裁判長裁判官遠藤賢治)

別紙森教諭の成績評価について〈省略〉

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